皆様こんにちは!KIOです。
今回が2回目のブログ投稿となります。
今回は簡単に自己紹介をさせていただきます。
また、私の経歴が人と違うパラダイム(もの見方)や価値観の形成に大きく関わってきます。
どうぞお付き合いのほどよろしくお願いします。
私は1988年生まれの37歳です。(2026年3月投稿時)
現役時代は主に外野手でした。
野球を始めるきっかけになったのは歳の頃、地域のソフトボールチームに親に強制的に入らされたことです。嫌がる私でしたが、釣り好きな私は母にルアー2個で買収されいやいや参加することになりました(笑)。ところがソフトボールの楽しさにどっぷりとはまり、練習に参加していた少年野球の子がうまかったのに憧れて野球に転向しました。中学ではリトルシニアチームに所属し、メンバーにも恵まれ関東大会で優勝したり、選手権大会で8強、ジャイアンツカップにも出場することができました。個人的には関東大会でベストナインに表彰されたり、報知高校野球に名前が載ったりしました。その当時はまだまだ勝てたという悔しいきもちでしたが今振り返ればかなりの成績です。高校では栃木県の佐野日大高校でプレーしていましたが、2年生の春で1番センターで一時的にレギュラーになりましたが、その後手首を骨折してからは打てなくなってしまいました。
大学でも野球を続けましたが、あまりいい思い出はありません。
中学時代のチームメイトにはフル代表での全日本プレーヤーがいたり、高校時代のチームメイトからは、WBCに出場しのちメジャーリーガーになった同級生や日系ブラジル人でブラジルWBC代表選手が出たりとチームメイトに恵まれたと思います。後述しますが、アルゼンチンに住んでいた時に参加していたチームでの練習パートナーがアルゼンチン代表で2023年のWBC予選に出たりと、一緒にプレーした選手が3加国からWBCに参加するという結構国際色豊かな楽しい野球人生を送ってきました。また僕自身もボリビア在住時代に、裏技を使ってボリビア代表として南米選手権に出場したりしました。そのあたりも後々紹介していきたいと思います。
高校時代に日系ブラジル人から影響を受け、大学卒業後は若気の至りから南米に移住し主に自分で商売をしていました。南米での生活も後々紹介していこうと思います。
アルゼンチン生活時は、コルドバという都市で地元のアマチュアチームに所属し野球をやっていました。そのチームはアマチュアのクラブチームでしたが、マイナー選手が出たり、後にイタリアリーグでプレーする選手がいたりと、レベル的にちょうどいい
南米のボリビアという国に11年強、アルゼンチンに1年半、合計で約13年南米に住んでいました。
2025年に10年ぶりに日本に帰国して、私自身日本人でありながら日本人の考え方に馴染めず、考えそのものの良し悪しではなく「そもそもなんでそのような考え方をするのだろうか?」「てか、自分の考えではなく社会的に刷り込まれた考え方じゃね?」と気づきました。その上で、長い海外生活によって、私は二つの人格を獲得していました。南米で生活するために必要なスペイン語を覚えたのが成人してからだったので、自分のなりたいキャラクターのしゃべり方やセリフをマネしていたら、自分で行動や性格を構築できるということに気づきました。余談ですが、現在はポルトガル語を学んでいて、ポルトガル語での人格も別のものになっているので、私には3つの人格が共存しています。
本題に戻りますが、帰国してすぐに中学時代のシニアチームにあいさつに行きました。そこで感じたのが、選手の動きが自ら考えた動きではなく、自分の考えではない外側にある良かれといわれているの何かしらの情報を体現しているということが伝わってきて少し寂しい気持ちになりました。そこで、私は試合形式の練習に参加させてもらい、2打席打たせていただきました。2本のホームランを打ち(と言いたいところですが、アゲインストでポール際の打球がファールになってしまったのと、打ち直しでエンタイトル2ベース←これも風がなければホームラン、もう一打席は普通のヒット)でした。10年以上野球すらやっていませんでしたが、中学生相手とは言えこのような結果が出たのは結果から逆算してアプローチしたからです。そして狙い通り、中学生から指導の依頼をされました。動きというものは言葉以上に伝わるものです。
なのでこのブログでは、僕の海外生活で身に着けた価値観の違いをベースに皆様にもより良い野球人生を送っていただけるようなヒントになる考え方や、補助線になるような練習への取り組み方を紹介していきたいと思います。また、コラムとして南米時代の生活なども紹介できたらと思っています。
皆様に楽しんでいただけるよう努力いたしますので、今後ともよろしくお願いいたします。
2026/03/03 KIO